
きのうからの話の中で、コンサートなり、いわゆる自主事業というんでしょうか、そういうものを企画する場合に、地域性というか、特に演劇なんかの場合は地域に題材をとかという話。きのうの先生のお話の中でしたか、今メジャーというか、鑑賞型になっているのも、もとをただせば地方から起きている創造的なものから始まって、それがメジャーとなって、1つのところが買うという形で鑑賞のものになるんだと。そういうことを考えれば、僕は音楽のことは全然わからないものでなおさらなんですけれども、演劇だったら、例えば昔の歴史を掘り起こすとか、何か具体的にわかるイメージというのは出るんですけれども、音楽における地域性というか、例えばそういう面でここにおられる方で事例があれば、あるいは先生の手持ちの材料があれば、教えていただければなと思うんですけれども、お願いします。 ○草刈 それについては後半でしようかなと思ったんですが、企画ということについて少し考えてみなければいけないと思うんですが、抽象的な芸術であるクラシック音楽の場合と、具体性のある演劇ですとかオペラですとか、そういったようなものの場合とで著しく違う点があるんです。それはどういうことかといいますと、クラシックの音楽というのは、午前中にも少しクラシックの発生ということについてのお話を申し上げましたように、つまり、クラシックの音楽というのは、100年前、200年前の作曲家の作品を、演奏家が楽譜という記号に頼って、これをつくったときは作曲家がどういうふうに考えていたのかなということを推理しながら、それを最も忠実に再現をするという事なんですよね。 しかし、楽譜というのは、ある意味では精巧なんだけれども、ある点から見ると、これは記号ですから、非常に不十分なところがあるわけですね。ですから、そういったところを演奏家が補わなくてはならない。たとえばべートーベンの作品をAという人とBという人が弾く、それはAという人が弾いたらAという人の個性が出るし、Bという人が弾いたらBという人の個性は出るけれども、作品そのもの、べートーベンの作品というものの方がはるかにウエートは強いわけですね。ですから、ニュアンスは多少違っても、極端ないい方をすれば、だれが弾いても同じなんです。 オーケストラの作品というのがあって、Aというオーケストラは100人の人間がいる。Bというオーケストラは50人しか人間がいないということがありますね。ところが、AというオーケストラとBというオーケストラが、ある1つの曲、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」という曲をやるとすると、この曲は物すごい大編成で、120人の人間がいないとできないわけですね。そういう作品をやろうとしたときに、100人のオーケストラ
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